ブログのタイトルを「ひまひま星人」から「放蕩ムスメの放浪記」にしました。以前書いてたブログのタイトルに戻しました。
「放蕩ムスメの放浪記」っていうタイトルには自分なりの思い入れがある。
「放蕩息子」の喩え話(リンク先はwikipedia)がキリスト教の聖書の中にある。わたしは女なので「ムスメ」と書き換えて使っている。未だに父の元には帰らず放浪を続けているという意味で。
自分がキリスト教を信じているのかどうか、正直自分でももうよくわからないし、わたしは多分教会や集まりに参加したりするのは無いのだけど、神様という存在はやはりどこか心の支えになっているんじゃないかと思う。
放浪中の身で、もうどこかに帰ったほうがいいのかもしれないとか思ったり、まだ帰れないなと思ったり、はあるのだけど帰る「場所」を見出すのは青い鳥のように身近なものかもしれない、そんな希望みたいなものを感じる。
でもまあ宗教と人との関係っていろいろだなって思う。
うん、書いてて自分で意味わかんなくなってきた!
「放蕩ムスメの放浪記」っていうタイトルには自分なりの思い入れがある。
「放蕩息子」の喩え話(リンク先はwikipedia)がキリスト教の聖書の中にある。わたしは女なので「ムスメ」と書き換えて使っている。未だに父の元には帰らず放浪を続けているという意味で。
自分がキリスト教を信じているのかどうか、正直自分でももうよくわからないし、わたしは多分教会や集まりに参加したりするのは無いのだけど、神様という存在はやはりどこか心の支えになっているんじゃないかと思う。
放浪中の身で、もうどこかに帰ったほうがいいのかもしれないとか思ったり、まだ帰れないなと思ったり、はあるのだけど帰る「場所」を見出すのは青い鳥のように身近なものかもしれない、そんな希望みたいなものを感じる。
でもまあ宗教と人との関係っていろいろだなって思う。
うん、書いてて自分で意味わかんなくなってきた!
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