2020年7月12日日曜日

4月で子どもが小1にあがるタイミングで別の自治体引っ越すことになったメモ

4月に子供が小学一年生に上がるタイミングで夫の転勤による県をまたいでの引っ越しがあったので、どういう感じだったか覚書。(便宜的に引っ越し前住所をA市(大阪府)、引っ越し先住所をB市(東京都)とする)

基本的な手順としては、
  1. 引っ越し先住所が決まって通っている園や通うはずだった小学校に連絡
  2. 引っ越し先小学校から入学案内などの書類を送ってもらう
  3. 引っ越し前住所から必要書類を引っ越し先住所の自治体・小学校に送ってもらう
  4. 住民票を引っ越し先に移す
  5. 入学決定通知書が引っ越し先住所から発行される
  6. 入学式
なのだけど、(4)が我が家の場合は4月1日以降でなければならなかったのと、曜日の関係で(5)の発行が入学式に間に合わないので4月1日から住民票を入れられる日までの期間、「区域外通学」の申請を行ったので、実際にはこんな感じ。

  1. 引っ越し先住所が決まって通っている園や通うはずだった小学校に連絡
  2. 引っ越し先小学校から入学案内などの書類を送ってもらう
  3. 引っ越し前住所から必要書類を引っ越し先住所の自治体・小学校に送ってもらう
  4. 区域外通学願を申請する
  5. 入学決定通知書が引っ越し先住所から発行される
  6. 入学式
  7. 住民票を引っ越し先に移す

引っ越し先住所が決まらなければ動きが取れないことなので、引っ越し先住所が決まったら即動くべし。
(小学校入学説明書、入学前健康診断書、区域外通学届願、住民票、賃貸契約書などの書類が郵送で動くので時間的な余裕が必要。とくに区域外通学届願はこちらで書類がすぐには揃えられない場合がある(賃貸契約がまだ正式に済んでいなかったりする)し、申請自体が通って入学決定通知書がこちらに郵送されるまでに1wkは見ていた方がいい)


2020年7月8日水曜日

duolingoとCovid-19

5月、6月はなんだか心が不安定で、ふとしたときに涙がボロボロ溢れて、子供からあどけなく、「だいじょーぶ?」と背中を撫でられたりしていた。普段では家に引きこもることは、むしろ喜ばしいことだったのに、意外にも、もしかして自粛生活は堪えていたのだろうか。自分の中では色々と理由はあったのだけど、おそらく「コロナ鬱」としてまとめられるような日々だったのだろうと思う。

鬱々とした気分の中で、なんだか心が落ち着くきっかけとなったツイートがあった。
これがきっかけで、そもそもアルファベットの成り立ちって?とかアルファベットの「Z」を「ズィー」と発音するのはアメリカ英語で、イギリス英語は「ゼッド」であるとか、エトルリアっていうローマの前にあった謎文明とか、牛耕式と呼ばれる一列ごとに読む方向を変える読み方があるとか、まあそう言った情報はウィキペディアが中心なんだけども、なかなか面白く感じられて、そういうものを読んでいる間は楽しいな、と感じていた。

その流れで、と言ってもいいと思うのだけど、Duolingoという外国語の学習サイトをのぞいてみたら、中国語のコースがあったので始めてみることにした。

Duolingo、自分のページを見ると、2014年にアカウントを作成していたらしい。アカウントが6年もの間削除もされず、その時と同じようにログインできるのがありがたい^^;

中国語は初級レベルなら自分も勉強したことがあり、Duolingoの中国語コースはかなり短いので、ガンガン進めた。オーソドックスな学習法だと四声とピンインを最初に学ぶのだろうけど、それをすっ飛ばして始められるのが嬉しい。ガンガン簡単な問題を繰り返していると、ゾーンに入るというのか、なんだか無心になってコロナが怖いとか、人が死んで悲しいとか、そういう感情が一時的に忘れられる。あとレッスンをクリアすると経験値が溜まっていったり、王冠がもらえたり、アイコンが金色に変わったりするのが妙に自分の収集癖を刺激する。

途中で、英語で外国語を学習するコースがあるのを知り、中国語も英語から学ぶ方が内容が充実しているというのを知った時、あ、これで自分のやる気が削がれるかなとちらっと思ったが、結局日本語から中国語を学ぶコースを全クリした後に、英語で中国語を学ぶコースを最初からやり直している。英語は特に作文が苦手なので、中国語を英語で書け、という問題に当たるとなかなか正解が出ないのだけど、レッスンの初歩からやり直すと、なんとなく、そこで使われている英語の空気というか使われ方に慣れるのか、だんだん英作文も楽になってきた。まあまだまだ先のレッスンが残っているので、これからが問題なのだけど。

このDuolingoの中に、高地ヴァリリア語というゲームオブスローンズで出てきたオリジナル言語を学ぶコースもあって、興味本位で少しだけ進めてみたら、なんとなく人工言語のエスペラントやヴァリリア語と位置付けが似ているらしいラテン語にも触手を伸ばしたくなってきたり。

まあなんやかんやで飽きっぽい私が1ヶ月欠かさず続けている。
正直言語習得という結果はあまり期待はしていないのだけど、精神安定の効果は多分にあるみたい。


2020年6月1日月曜日

「日々是好日」を見たよ。

アマゾンプライムのCMでこの映画のPVが流れてきた。私は黒木華、夫は多部未華子が以前から好きで、要は出演者につられて見てみた。

観たあとはなんだかすごくぐちゃぐちゃした気持ちで、一晩たってもやぱりぐちゃぐちゃのままなのだけど、どうにか書いてみたい。

茶道を習う女性のお話で、最初はこれ2時間ずっとお茶点てるだけの映画だったらどうしようと失笑気味にみていたのだけど、徐々に茶道という未知の世界とお茶を点てる場に込められているメッセージ性に引き込まれていった。この辺は茶道入門編プロローグみたいな感じで主人公の典子と並行して楽しめた。

しかし、樹木希林の演じる武田先生の雨水の時の一期一会のセリフからあとは、この映画を観続けてもいいものか迷った。

「ご亭主もお客もそれが一期一会のお茶時だと思って心入れてするものですから...たとえ何度同じ亭主と客が集まって茶事を開いたとしてもその日と同じようには二度とならないんですよ。ほんと、一生に一度限りだと思って...」

一期一会、同じ人が集まるお茶会がまた開かれたとしても、決して同じではない。
武田先生の師匠に当たる人の死を背景にしたと思われるセリフは、コロナ禍で会いたい人にも会えない今の状況にある自分には胸の痛いセリフだった。と同時に、毎日私がログインしているツイッターでたわいないつぶやきを投稿し、返信をくださる人たちのことを想った。

典子はお茶を通じて死を受け入れ乗り越えられたのだろうな、という描写で終わった。
季節や干支が繰り返されるように人もまた出会いがあって別れがあって死がある。

でも、と。私はそれが受け入れたくないと思っている。今日は元気でも明日にはいなくなってしまうかもしれない人たちのことを諦めきれないでいる。たとえそれが死ではなくとも、ツイッターでもいままで自分のタイムラインでもいなくなっていった人たちはいた。

人はどんなに頑張っても死んでしまう。いなくなってしまう。それは理解している。
だけども一期一会の意味を頭でわかっていたとしても、私はどう振る舞うのがベストなのか未だにわからないでいる。ただ、毎日ツイッターにログインしては、みんな元気でいてね。なるべく長生きしてね。と願っているだけ。人の往来や生き死にはもう自分にはどうしようもないし、どうすれば安らぐのかもわからない。とても寂しく思う。